その間、毎年大平宿の様子を見守ってきました。この期間でも下紙屋などが焼失するなど苦難の時間が流れています。
昨年、元住民のAさんを交えて当時の様子をうかがうなど貴重な時間を持てました。
そのときに貴重な写真集を拝見し、当時の様子をわずかに知る機会になりました。
そのルポルタージュ「集団移住」、また紙屋にも当時の展示写真かあり、移住前の生活やその直後の大平宿の様子をうかがい知ることができます。
離村は昭和45年、大阪では万国博覧会が開催された年でした。
これらの記録は、戦後日本の山間地域の縮図といえるようにも思えます。この状況の基本部分はいまでも変わっていません。
無住となった集落に取り残された建物は今なお生き続けています。
しかし、それはかろうじてという状況と認識したほうがよいのではないか、とここでは問いかけておきましょう。
「いや、そんなことはないよ」という声を聞きたい思いはもっています。
今年(平成21年)になって行政も交えた保存再生の動きが再び活発に出てきたようです。この動きに期待したいと思います。
生活文化同人としても毎年開催している大平建築塾では、時間の経過に伴う民家の変化の様子を図面化、記録化して見守っていくこと。これが私たちに今できること思っています。
昔と今の大平宿を見てみましょう。
(2009年)
![]() | (注)このページのモノクロ写真は (A):ルポルタージュ「集団移住」より抜粋転載させていただきました。 (B):紙屋に展示写真を複写させていただきました。 |
| 大平宿全景(A) |
| 大平宿全景(A) 棟名入り | |
![]() | |
| 大平宿の変遷(B) | |
| 写真集に掲載の石柱(A) | 今の石柱の様子(2008年) |
| 飯田から登ってここまで来ると大平宿までもう少しというところ。昔も今もそれは変わらない。 | |
| | |
| 大平宿 (右 きそ道 左 いいだ道) | |
| 「下紙屋」前から石置き屋根の「おおくらや」の方向を見る(A) | 2007年夏の様子 |
| <1> <2> <3> | |
【大平宿の風景 昔と今の最新記事】





